近津神社
(ちかつじんじゃ)
茂木町
近津神社は茂木町中心部から少し西の小さな山を登った静かな杜の中に佇む茂木城の守護神です。
参道の見上げるような急な石段が印象的な神社です。
ご由緒
建久7年(1196年)後鳥羽天皇の御宇に常陸の守護八田知家の三男知基が桔梗城を築城する際、城の鬼門である丑寅の方角に鎮座する荒橿神社に対し未申の方角に裏鬼門除けの神が鎮座していないとのことで、八田家が崇敬し武門の神として由緒深い近津神社を勧請したと伝えられる。
(参照:境内案内)
ご祭神
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
日本神話に登場する神。
天岩戸神話では岩戸の前で祝詞を唱え天照大御神(あまてらすおおかみ)を引き出すことに成功し天孫降臨神話では邇邇芸命(ににぎのみこと)に随行した。
中臣氏及び藤原氏の祖神(おやがみ)として知られる。
経津主命(ふつぬしのみこと)
日本神話に登場する磐筒男神(いわつつのおのかみ)と磐筒女神(いわつつのめのかみ)の子であり香取神宮の祭神。
葦原中国(あしはらのなかつくに)では武甕槌命(たけみかづちのみこと)と共に大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りを承諾させた。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が十拳剣天之尾羽張で火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ/火神カグツチ)の首を斬りおとしたとき、剣の根元についた血が岩に飛び散り生まれた剣神。
葦原中国(あしはらのなかつくに)では経津主命(ふつぬしのみこと)と共に大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りを承諾させた。
ご神徳(ご利益)
景色
参道の急な石段
一之鳥居から境内に向かう石段です。
踊り場や手すりがなく200段以上つづく急な石段は、踏み面も浅く少し恐怖を感じました。
(石段の上から一之鳥居を見下ろした画像)
山の中の参道
石段から社殿に続く参道は木々の生い茂る山道です。
途中、古い日本家屋のような社務所が建っていました。
手水舎
拝殿前の手水舎です。
画像の右手が拝殿ですが、左側に参道のようなものは見当たりませんでした。
拝殿
まだ新しそうな神額がかけられた拝殿は崖?に向かって建てられていました。
車での参拝
現在、石段からの参拝はできません。
参拝する場合は、石段からの参道とは社殿を挟んで反対側に車で直接乗り入れるルートを利用することができます。
さいごに
神社へはカーナビを頼りに向かいましたが、途中道に迷ってしまい地元の方にお聞きしてやっとたどり着きました。
参道の石段に向かう橋は閉鎖され回り道の案内がされていました。
※グーグルマップでルート検索をすると神社近くにある民家付近から徒歩で向かうよう案内されるようですが、そこからさらに百数十メートル南進した三叉路(小さな案内板あり)を東に進入すれば境内まで車を乗り入れることができます。
アクセス
住所
栃木県芳賀郡茂木町大字坂井150
駐車場
あり
最寄り駅
真岡鐡道:茂木駅から約1.5㎞