精忠神社(壬生町本丸)

神社

精忠神社
(せいちゅうじんじゃ)
壬生町

精忠神社は関ヶ原の戦いでの東軍陰の功労者であり明治維新まで壬生藩主を務めた鳥居氏の祖でもある鳥居元忠が祀られた壬生城址公園に隣接する神社です
この社を祀った鳥居忠英公がこの地にかんぴょうを普及させたとされることから干瓢神社とも呼ばれています。

ご由緒

正徳2年1712年壬生城主鳥居忠英が壬生城内東北の隅にその祖鳥居彦右衛門元忠を祀ったことに始まる。
寛政11年1799年神紙菅領吉田家より「精忠霊神の神号を受け、嘉永2年(1849年)には現在の地に遷し社殿を改める。(参照:境内案内板)

ご祭神

精忠霊神(ちゅうせいれいじん=鳥居彦右衛門元忠公)
関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで主将を務めた徳川家康の重臣。
石田三成方約4万軍勢に対しわずか2千名ほどで10日以上城攻めを死守した

ご神徳(ご利益)

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景色

参道

二の鳥居

まっすぐ伸びる参道をゆっくり2~3分歩くと二の鳥居があります。

鳥居の右側には、かんぴょう伝来300年を記念して奉納された、かんぴょうの石像が建てられていました。

神門

二の鳥居をくぐると立派な構えの神門があります。

水盤

コンクリート製の水盤の後ろには神輿庫が建っています。

拝殿

嘉永2年(1849年)に建てられたとされる拝殿です。
その前には参道の左右3対の石灯篭と1対の狛犬が並んでいました。

畳塚

鳥居元忠が伏見城の戦いで自刃したとき血に染まった畳が納められた塚です。
江戸時代は江戸城伏見櫓の階上に置かれ、登城する諸大名に元忠の忠義を忍ばせたといわれる畳が江戸城開城にともない現在の地におさめられました。

ひとこと

道路沿いの鳥居を見つけふと立ち寄った神社は、以前ブラタモリで見た京都の宝泉院にある血天井でも知られる鳥居元忠が祀られている神社でした。

アクセス

住所
栃木県下都賀郡壬生町本丸1-9-13
駐車場
あり
最寄り駅
東武宇都宮線:壬生駅から約1.2㎞

 

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